「タイを拠点に活動20年」を振り返る

2020(令和2)年の世界的なCOVID-19の影響で全日空も経営の立て直し中であるが、創業者の美土路昌一社長の『和協』の精神で克服することができるでしょう。OBとして早期の回復を願うものです。その一(いち)退役社員が喜寿を迎えるることができたことに感謝し、リタイア後の20年の軌跡を振り返った一文です。  

 

在職中はベトナムへ、退職後はタイへと興味がシフトした。ベトナム戦争中は休暇をとり俄かフリージャーナリストとしてでかけ、途次寄った素晴らしい天国のように思えたタイの安らぎは上座部仏教国ゆえかもしれない、と思えた。55歳でANAを退職、58歳にバンコクの国際瞑想寺院ワットパクナムに出家、修行をし学んでから20年が経った。

尚、出家の契機(52歳のときチェンライ・チャンマイ200キロ徒歩修行の旅<遊行僧>の経験)の最大の支援者であったチェンマイのサイムーン寺院の住職ニコン僧や故モントリー僧、そして出家のお世話をしてくれたパクナム寺院のチャイ副住職そして還俗後チェンライの高原瞑想寺院アナカリックに「個人僧坊」を建てさせてくれた故アナントー住職との縁があってのことである。

 

ここ10数年は恩返しの旅をしている。修行2年後、一旦日本に帰り立正大学や日蓮宗の菩提寺や信行道場で日本仏教を学んだ。そして縁あってタイ北部のチェンライ県に個人寺院「Wat Japan=タイ日本寺院、ワットジープン」を2013年に開堂した。

具体的には日泰の文化交流、親善と布教の三大柱です。対象は在タイ日本人やタイ人たち。

いままでの活動の思い出を短くまとめる、と・・。次のようになろう。


 
「戒名」は無料で授記している。タイ人に2名、日本人には6名。生前戒名が多い。


 
葬儀〔法事〕は無料。生前の知己が条件、タイ人の場合はタイ人僧侶の供養の後にさせてもらう。タイ人3名、日本人8名の供養をした。日本人配偶者男性のタイ人妻の遺族年金のお世話もした。またチェンマイにある日本人会主催の「インパール作戦慰霊碑清掃の旅」の供養にも同行した。


 
法話や交流会は日本語でする。タイ人もいるが、可能な限りタイ語と日本語のメモを渡している。終わってからの交流会を敷地内にある大家さんの“蓮名食堂”でする。


 
日本語教室は無料。7歳の子供から50歳台の方がいた。準備が大変だが村人から近くの大学の生徒まで口コミと張り紙を見てくる。タイ人はお礼に飲物等の寄進が必ずある。


 
当寺院への訪問者は日本、ミャンマー、マレーシアそしてタイ国内の首都バンコク、チェンマイそして東北タイなどからがいた。宿泊も可能。時には近くの観光地へも案内をする。お寺のHPや私のBLOGを見たり口コミの訪問者が多い。日本からの散骨ツアーや高齢者10名の団体もいた。

  『托鉢行』にいく道のごみ掃除。地元の小・中学校や村の寺院への寄進(短期出家も・)。


・元大家のイアさんは車椅子生活者だった、電気修理店を営んでいたが、現寺院建設前の3年間部屋を無償で貸してくれた。201512月日本に招待した。物心両面の支援者だったが、招待の翌々年肺病で亡くなった。


 
以上の7項目以外「日本式葬祭会(CNX,CEI)」の設立、準僧侶の養成(現在1名)を実施済み。


 
地元〔在住〕の方たちの不満は1年中いないこと。助け助けられて20年。小さなトラブルや意識のギャップはある、国民性や性格の違いからだろう。ただ当の本人は癒し生活充満中です。可能ならあと5年は訪タイし親善と交流をしたい、と考えています。  ポップカンマイ(又会いましょう)