Suchitooの第2次世界大戦慰霊の旅(旅愁)

旅愁とは「旅行中に感じるものかなしさ」、懺悔とは「罪を告白し、悔い改める」との意味と捉える。直接的に戦争を知らない年代だが、20代からヴェトナム(インドシナ)戦争の取材その後タイを中心に東南アジア各国の戦争遺跡をはじめ太平洋戦でのグアムやサイパン島にも出かけた。

50代で僧侶になってからは慰霊の旅、懺悔の旅をしてきた。日本では高校生時代の修学旅行で行った広島や長崎の原爆の悲惨さの「懺悔」と平和を求めにでかけ、また沖縄戦で散った方々の慰霊(南部戦跡他)、知覧基地での特攻隊員たちの慰霊と平和への願いを念じてきた。

上皇陛下(平成天皇)と上皇后陛下は、多くの戦闘・戦跡地域にでかけ『慰霊の旅』を続けられた。公的・私的に関わらず多くの方が亡くなったことへの悲しみや苦しみは消えない。しかし今を生きる人たちは、今を生きていてこそその先達たちを想い「合掌や感謝そして謝罪(懺悔)」することは大切である。

・いくつかの旅愁の思い出と*これから生きる私見を語る。

  亡くなった何百万人の将兵とその家族や戦地の住民たちの戦争の想いは、“怒り”以上のものでしょう。政府(民間NPOも含む)の遺骨収集は終わっていない。慰霊碑や戦争資料館等がタイのメーホーソン県やチェンマイ県などにはあった。その慰霊碑の清掃をしたり供養の読経をあげたが、未だ悔しさや悲しさが現地で彷徨っていることだろう。 又日本兵墓地(バングラデシュのチッタゴン、ミャンマーのヤンゴンやバガン、タイのメーホーソンやチェンマイ及びチェンライ)の墓守をしてくれる人たちへの感謝がある。

  「戦車や武器・弾薬もない、食料もない、医薬品もない」なかで精神論での戦法に疑問を感じた。とくに軍指導部のレベルに疑問を感じたのは、南方軍〔ビルマ方面軍〕司令部のインパール作戦だ。

  中国の雲南省に出かけたとき「日本人を殺す」と言う情報がツアーガイドからあった。親族(叔父が日本兵に殺されたようだ)が殺された怨念は、いつまで続くのだろうか。

  *まだ歩いてないシベリア抑留地、真珠湾攻撃地、捕虜収容所<カウラ等>〜シンガポールのチャンギ刑務所跡は訪問)などもある。機会があれば是非訪問したい。知らない戦跡や傷痕、そして悲しみがまだまだ数多くあるだろう。高齢な残留日本兵(タイのターク県では話を聞けた、日系人もいたようだ)のことももっと知りたい。

  *第2次世界大戦後、インドシナ戦争〔3度の取材と人探しにいった、戦中カンボジア解放軍に迫撃砲で撃たれた。この戦争は終結した。が、まだ・・〕。南北朝鮮戦争の休戦ラインの板門店も訪問した。しかし、まだ北朝鮮と韓国との戦争は終わっていない。

  *仏教で言う捨身行、慈悲行、菩薩行のことは、《懺悔》と同等の行為と思っている。小生の「慰霊と懺悔の旅」は続けないといけない。祈りだけでなく、原爆や戦争の反対の言動はもちろん、平和や人類愛のある地球のための行動を生涯したい・・・・。         <南無妙法蓮華経(三唱)・南無釈迦牟尼佛、南無阿弥陀佛・・・>74回目の終戦年に